『過去の重罪、経力に因て現世に軽報を受く』
過去の重罪が、経の力によって、現世での報いが軽くなること。
【問】
世間で、仏・法・僧の三宝を心の底から信じていても、なお種々の重病にかかったり、または非業の死をとげる者があるのは、どうしてか。
【答】
ある人がいて、過去の世に色々な汚れて悪い間違った教えを行い、正しい教えを謗ることがあると、未来の世には必ず地獄へ堕ちるはずである。
そこで、後悔の心を起こし、それ以上に悪い結果を作らず、熱心に経を唱えると、その人の重罪の罪を現世で軽く受けるだろう。
あるいは、深刻なケガや重い病気、刑を科せられ牢獄につながれる、他人に殴打されたり、殺害される。このような報いを現世で受けると、堕地獄の大難は、すべて除かれ消滅する。愚かな人は、この意味を知らない。
日蓮聖人も開目抄において「日蓮をはじめ弟子もいかなる法難迫害に出会っても、疑いの心を去って信心に精進すれば、必ず成仏の目的を達することができる。諸天の加護のないことを疑ってはならない、現世の不安なことに気を取られてはならない、朝な夕なに弟子たちに教えたにもかかわらず、疑心に駆られてその教えを捨てたであろう。小人の常として平素約束したことを、実際の場合に忘れるものである」と。
また、「要するに天に捨てられようが諸難にあおうが、命ある限り法華経の修行に精進しよう。善につけ悪につけ法華経を捨てることは、最大の悪事である」と。
信じる力が堅い者は、大難が変化して小難となり、小難は転化して何の障りもない人となる。人間の思考では測り知ることのできない広大な教えの力は、どうして私たちをあざむくことがあろうか。」
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仏法僧の三宝を信じ信心深くとも今生には重病を患い、また非業の死を遂げる者がいる
⇒重きを転じて軽きを受くの「転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)」
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日蓮聖人は「転重軽受法門」において「涅槃経に転重軽受(てんじゅうきょうじゅ)と申す法門あり。先業(せんごう)の重き、今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値(あ)はせ候へば、地獄の苦しみはつときへて、死に候へば人・天・三乗・一乗の益をうる事の候。」と述べられいる。
重き過去世の業が今生に尽きること無く、なお未来世においても堕獄の苦を受くべきものが、現世に重苦を受けるならば、来世は重苦を受けることなく、地獄・餓鬼・畜生・修羅に堕ちることなく、仏になることができるということである。
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前生の悪業が重くて、この世では罪を消すことができず、死んだあと地獄の苦しみを受けなければならないのを、この世でそれに変わる苦しみを受けることにより、未来の地獄の苦しみはたちまちに消えて、死後は幸せなところに生まれ変わることができる、という教えである。