9月12日は、龍口法難の日です。
聞いたことある方もいらっしゃると思いますが、一体どんな法難だったのか。
また、龍口法難と圓福寺のお祖師さまは、実はとても縁があるのですが・・・その辺についてのお話です。
龍口法難とは
鎌倉時代後期、日本は地震・暴風雨・飢饉・疫病の蔓延などの災害が相次いでいました。
それらを憂えた日蓮聖人は、『立正安国論』を著し、幕府に奏上しました。
そのとき日蓮聖人49歳。
しかし、幕府はこれを政策への批判と見なし、文永8年(1271)、日蓮聖人を捕らえ、斬首するために、刑場であった龍ノ口(神奈川県藤沢市片瀬)へ連行しました。
それが、9月12日。
翌13日、土牢から引き出された日蓮聖人が、あわや斬首になるときでした。
「江ノ島の方より満月のような光ものが飛び来たって首斬り役人の目がくらみ、畏れおののき倒れ」(日蓮聖人の手紙より)、斬首の刑は中止となりました。
以来、この出来事は「龍口法難」と呼ばれております。
圓福寺のお祖師さまと「龍口法難」
そして、圓福寺のお祖師さまは、「龍口法難」ととても縁があります。
圓福寺のお祖師さまは、1271年、日蓮聖人が49歳の時、今からおよそ740年前に、当時の彫刻の名手であった日法上人によって聖人が生きているときのお姿を彫った御像です。
(一木三体といって同じ木から三体の像を刻み、一刀三拝して、題目を唱えながら精魂を込めて造ったもの。)
また、日蓮聖人自ら開眼(魂入れ)をされたと伝わっております。このことから、「生御影(生きる姿)厄除高祖日蓮大菩薩」と呼ばれています。
そして、その直後に起こった龍口法難(1271年9月12日)で日蓮聖人が難を免れたことから、厄除・開運の力が宿っているとされています。
というように、圓福寺のお祖師さまと龍口法難は関係があったのです。
「龍口法難」と「ぼた餅」
また龍口法難には、こんな逸話があります。
日蓮聖人が、龍ノ口に連行される途中、老婆が聖人にぼた餅をご供養したといわれています。
結果、法難を逃れていることから、「首つなぎのぼた餅」「難除けのぼた餅」と言われ、災難除けの餅として9月12日にぼた餅を御宝前に供える習慣ができました。
圓福寺でも、ぼた餅をご供養しております。
圓福寺の場合は、毎月13日がご縁日ですので、それにあわせて毎年9月13日に、ぼた餅をいつもお参りのみなさまにお渡ししております。
また、圓福寺のぼた餅は、お経がしみ込んでいるぼた餅なんです。
毎年1月1日~お祖師さまの年初のご縁日である1月13日までお餅にお経をあげて、その後和菓子屋さんに持って行き、ぼた餅にしてもらっています。(牛込神楽坂の御菓子司 岡埜栄泉さんにて、ぼた餅にしていただいております。)
というわけで、龍口法難のお話でした。