日蓮宗の開祖である日蓮聖人が遺したお言葉(御遺文)は、心豊かに生きる知恵が詰まっています。
今回ご紹介するのは、『上野殿御返事』の一節です。
御遺文 原文
抑も今の時、法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時は燃立つばかりおもえども、とおざかりぬれば、すつる心あり。水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずるなり。此はいかなる時も、つねはたいせず、とわせ給えば、水のごとく信ぜさせ給えるか。とうとしとうとし。
・御遺文名『上野殿御返事』
・建治3年(1278年)
・日蓮聖人 57歳
・南条時光 宛
御遺文 現代語訳
そもそも昨今、法華経を信じる人のなかには、火のごとく信じる人がいる。または、水のごとく信じる人もいる。
教えを聞いたときは燃え立つように信仰するが、時が経つと熱が冷め、その気持ちを捨て去ってしまう。
一方で、水のごとき信仰というのは、いつも退くことなく信じ続けることである。
貴殿は、いかなる時も、常に退くことなく水が流れるがごとく信じておられる。尊いことである。
御遺文 解説
これは、日蓮聖人の有力な信者の一人であった南条時光に宛てたお便りの一節です。
この『上野殿御返事』が書かれた頃、日蓮聖人に3度目の流罪が噂されていた。度重なる法難は日蓮聖人だけでなく、弟子や信者にも影響し、日蓮聖人のもとを退くものが後を絶ちませんでした。
そんななか、南条時光は亡くなった父親の意志を継ぎ、母親と共に深く日蓮聖人に帰依し、身延にいる日蓮聖人のもとへ供養の品を送り続けていました。
この一節は、そういった南条時光の変わらぬ給仕の姿勢を讃え、信仰のあるべき姿を伝えています。
得てして、人は熱しやすく冷めやすいものですが、信仰というのは河のように水が流れるがごとく、静かに途切れずに続けることが大切だということを示しています。
南無妙法蓮華経