目に見えない世界のこと

圓福寺だよりコラム「仏音」

column No.047

 

 

この世は対称的なことで成り立っているといえます。

 

陰陽・善悪・高低・明暗・好き嫌いなど・・・。

 

色(しき)・心(しん)という私たちの体は、「目に見える肉体」と「目に見えない精神」とで成り立っています。

 

 

5つの霊に分かれる

 

目に見えないといえば、霊もそうです。

 

日蓮宗の修法(祈祷)では霊を5つに分けています。

 

死霊、生霊、犭著(こちゃく)、疫神(やくじん)、呪詛(じゅそ)です。この場合の5つの霊は、怨念・邪気のようなものと解釈すればよいと思います。

 

簡単に言えば、

 

①死霊は、亡くなった人が苦しんで頼ること。

彼岸、お盆、年回忌などの供養をしなかったり、また若くして亡くなったり、事故・犯罪などで亡くなった人、生前悪行を重ねたりした人などが頼ります。

 

②生霊は、生きている人の恨みです。

喧嘩すれば相手が恨んでくる、相手を困らせれば、当然恨みの怨念がきます。先祖が恨みを買うことをすれば生死霊となる。火傷したり、火事になるのは生霊の影響による場合があります。

 

③犭著は動物霊です。

動物を虐待したり、無益な殺生などそれらによって動物が恨み頼ります。

 

④疫神は流行病、群集心理など操作します。

目に見えないウィルスや病気を流行らせて、人々を混乱させます。デモや集団テロを起こさせたりします。

 

⑤呪詛は、相手を呪い殺すという意味です。

鬼・悪魔が働いて我々に嫌な事をします。鬼・魔は五段の霊すべてに関連しますが、ここでは省略します。

 

 

「頼られる人」と「頼られない人」

 

なぜ、そういった霊に、頼られる人と頼られない人がいるのか。

 

頼られる人は、やはり日常の生活、習慣に問題のある人、悪い考えを持つ人です。良い人だと言われる人でも、頼られることはあります。そのような人は遠い過去世で悪い罪を犯しているのです。

 

頼られるとどうなるのか。病気、人間関係、仕事など悪いことが起こります。不運と言われるようなことです。

 

では、頼られないようにするにはどうしたらいいのか。

 

それは過去世から今までの罪を懺悔し、日常生活を正しくし、法華経の信仰を正しくすることです。そして、どんな嫌な苦しいことが襲ってきても明るい気持ちを持ち続ける事です。

 

明るい気持ちでいると、なぜ良いのか。

 

それは、鬼・魔などの悪霊は、明るい・キレイ・喜び・笑い、というのを嫌うからです。

 

暗い・汚い・悲しみ・嘆きなど陰の気持ちは、逆に鬼・魔にとって好きなことで、頼りがいのある状態なのです。

 

 

平成27(2015年)年01月01日発行 第74号より