釈迦の心㉔ 最終回 – 臨終を迎えるとき

圓福寺だよりコラム「仏音」

 

column No.037

 

 

霊山浄土へお詣りする

 

私たちは毎日の生活の中で少しでも日蓮聖人の考え、願いを受け継いで、仏と共に仏の本当の願い、世の中の平和、人々の幸せのために生きること、日々精進することが大切です。

 

私たちは誰でも必ず死を迎えます。

 

臨終に臨む時、お釈迦様、日蓮聖人を慕い霊山浄土へこれからお詣りするのだ、霊山浄土へ行けるのだと信じ、霊山浄土へ行き、お釈迦さま、日蓮聖人を拝することが法華経信仰者の理想の姿です。

 

このことを願って毎日を過ごし霊山浄土へ行けるのが楽しみに思えるようになりたいものです。

 

 

身・口・意の気持ちを高める

 

日蓮聖人は「後生(死んだ後)善処」とよく言われています。

 

亡くなった後、良い状態なるために、この世では一生懸命、努力、精進し、身・口・意にお題目を唱える。

 

つまり、布施の精進(奉仕して見返りを求めない行い)で毎日を過ごし(身のお題目)、南無妙法蓮華経のお題目を日々唱え(口のお題目)、法華経の教え、お題目の功徳、力を信じ(意のお題目)、身・口・意の考えを常に一緒に持ち、身・口・意のどれか一つでもおろそかにしないように、三者一体で考えることが非常に大切なことです。

 

一体で考えること、行うことが身・口・意それぞれの気持ちを高めることになります。

 

お題目を信じれば(意)。

お題目を唱えるようになり(口)。

唱えれば何か良いことをしようと思う(身)。

 

良いこと、奉仕をすれば、信じる気持ちもさらに強くなり、口、身も強くなる。身、口、意、互いに刺激し含って高めていくことになります。

 

臨終を迎えた時、本当に法華経の信仰をして良かったと思えるようにならなければ信仰した意味がありません。

 

 

平成20(2008年)年07月16日発行 第61号より