釈迦の心㉒ – 悩み苦しみは、自分への「試し」

圓福寺だよりコラム「仏音」

 

column No.035

 

 

自分の魂を磨くための試練

 

私たちが仏の教え(法華経)を実践するということは、私たちの中にいる仏の活動であり、仏の中にある地獄から菩薩までの九界の活動でもあるのです。

 

私たちは広大な仏の生命の一部分なのです。このように「仏のお使い」(仏使)として活動することは仏の久遠の生命に加わることになるのです。

 

この世に生まれても、やがて肉体は衰え亡くなりますが、魂は仏の久遠の生命に同化していくのです。

 

このようになれば、この世の諸々の苦しみ、初めに述べた四苦八苦の解決になるのです。これが「事の一念三千」だったのです。

 

苦しいことや悩みがでてきたら、仏からの有り難い忠告、自分の魂を磨くための試練なのだと。そして苦しみ、悩むことは決して無駄ではなく、自分の過去世からの罪を少しでも消しているのだと、罪障消滅のための「試し」なのだと、苦しみを逃げずに受け入れる事が大切です。

 

そして苦しみ、悩みに有り難いと思えるようになれば、自分の魂が高まったことになる。悪も苦しみも悩みもお題目によって善に、楽しみに変化するのです。

 

また楽しみ、良い事があっても、目先の楽しみにせず、気持ちをゆるめずに益々信仰に励む、真の喜びのために。

 

このように苦や楽の交じり合った世の中に生きながら、日蓮聖人の教えと共に苦しみや楽しみを、お題目によって宗教的、絶対的な喜びにして生きる、仏と共に生きることになるのです。

 

 

執着をなくす心がけ

 

では具体的に「仏のお使い」としてどのように毎日を生きれば良いのでしようか。

 

前にも何度も述べた通りそれは「身・口 ・意」にお題目を唱えることです。

 

口でお題目を唱え、「仏のお使い」という自覚をもって布施行の実践、見返りを求めずに社会に奉仕すること。見返りを求めないということは、とても難しいことですが執着を少しずつなくすようにすることが大切です。

 

そして法華経の信仰者は、「仏のお使い」仏の活動のお手伝いをするということを自覚し、周りの人々、また自然界に対しても、我を捨てて奉仕する気持ちで取り組んで欲しいと思います。

 

今は地球環境ということに世間では非常に関心がもたれています。私たちも住んでいる地球に対しもっと関心を持ち自然界に奉仕する気持ちを、人々に対することと同じように持つべきだと思います。

 

 

平成19(2007年)年07月16日発行 第59号より