column No.028
お釈迦さまの生命の中で、生きる
日蓮聖人は「事の一念三千」を言っておられますが、特に十界互具を強調しております。私たちの地獄から菩薩の九界の中に、仏界が具わっているこのことが大切です。
そうでないと肉体を持った凡人の身のまま仏になる(即身成仏)ことができなくなるからです。つまり、慈悲に満ちあふれ、私たちを救おうとしているお釈迦さまの中に、私たちがいる。
お釈迦さまの広大な生命の中で、私たちは生きているのです。
日蓮聖人は「観心本尊抄」の中で、仏様は始めのない過去から、終わりのない未来、永遠の命であって、導かれる私たちも永遠の仏様と同体である。これが「一念三千」であると述べられています。
しかしながら、日蓮聖人は、今の私たちには、この「一念三千」を悟るための智恵も理解力も消えうせている。また、繰り返し修業することも耐えられないといわれているのです。
以前にも述べましたが、では「一念三千」とは、どのようなことなのか。
私たちは両親から生まれ、両親も数多くの先祖も皆、私たち生命の中にいるということになります。そして先祖も私たちも多くの色々な人々に世話になり互いに助け合ってきたのです。
食べるものも着るものも他の種々の道具も文明を築いてきた過去の人々、また係わりのある動物、植物、水、太陽、大地などの自然界、全てのものによって生かされてきたのです。
自分の身心の中に宿っているのです。
仏さまと同体になる方法
今、この一瞬の中に大宇宙の全てが宿っている。始めのない過去から永遠の未来も皆、この一瞬の中に在るのです。このことを理解するだけでなく、体で感じ会得し、自分自身が、大宇宙と同体となった時、 「一念三千」を悟る、「成仏」するということなのです。
中国の天台大師は「一念三千」を悟ったのです。しかし今(末法)の私たちには「一念三千」を悟る能力を持つ者は一人もいないと日蓮聖人はいうのです。
そうだとすると私たちは、仏さまと同体に、つまり成仏できないということになります。そこで、それを解決する有難い方法が「南無妙法蓮華経」を唱えることなのです。
平成16(2004年)年01月01日発行 第52号より