釈迦の心④ – 「南無妙法蓮華経」のお題目とは

圓福寺だよりコラム「仏音」

 

column No.017

 

「南無妙法蓮華経」のお題目とは

前回のコラムでは、

「お釈迦さまが亡くなって2,000年ほど経つと、世の中が乱れ、人々の心も妬み、争い事などばかりの嫌な世の中になる。そんな救いようのない重病人と同じような私たちを何とか救ってあげ、皆が本当の幸せを得るように、お釈迦さまの慈悲の心でお題目と言う特効薬を残してくれた。」

というところまで書きました。

今回は、そのお題目、「南無妙法蓮華経」を唱えることはどのような意味があるのかということです。

法華経は、随自意の教えですから、お釈迦さま(仏)そのものです。法華経のなかに、仏の全ての悟リ教え、神通力などが含まれています。

つまり、法華経の題目である妙法蓮華経の五文字の中にお釈迦さま(仏)の全てが入っていることになるのです。

例えば、「神楽坂 圓福寺」といえば、

・東京の新宿区の神楽坂という地域にあり
・日蓮宗の寺で
・開山以来400年余り
・加藤清正公の建てた寺
・伝統あるご祈祷寺で
・懺悔と供養を大切にしており
・住職は誰々で
・年中行事は何と何で
・境内地は何坪あって・・・などなど

圓福寺の3文字の中に、全てが含まれているのと同じことです。つまり、妙法蓮華経が仏の全て、仏そのものなのです。

南無妙法蓮華経の7文字。妙法蓮華経に南無をつける、南無とは、信じる、そのことに従う、全て任せ、命をも任せ信じ切るとということです。

南無妙法蓮華経とは、妙法蓮華経、つまり仏に対し絶対に信じ切り、全て任せ、仏と同体、仏の生命の中に入り一体となることなのです。

 

母が赤子に乳を飲ますように

お題目はこのように思い、心がけて唱えるのです。

お釈迦さまは、世の中のあらゆる物の中から最高の物を選び出し、それを調合してどんな重病者でも治る特効薬をつくってくれたのです。

赤ちゃんが母親の乳を何も疑わずに、無心に飲んで成長するように、私たちもお題目を仏の位に登る最良の乗り物と素直に信じて唱えれば、自然と仏の生命の中に入っていけるのです。

 

平成11(1999年)年07月13日発行 第41号より