魔と鬼

圓福寺だよりコラム「仏音」

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column No.012

 

「魔をば奪功徳者という。鬼をあがむゆへに今生には国をほろぼす。魔をたとむゆへに後生には無間地獄に堕つ。人死すれは魂去り、その身に鬼神入り替って子孫を亡ぼす。餓鬼というは我をくらうという是也。(日蓮聖人のお言葉)」

最近、世の中で鳥肌の立つような事ばかり起きています。

犯罪の増加、怪奇性、人の心の乱れ、善悪の判断の欠如、自然界の異変、生態系の破壊など(人間の行為が原因です)。気が滅入ることばかりです。

文明が発達し、何でも便利になりましたが本当に幸せなのでしょうか。

五感を満足させるために科学の驚くべき進歩、そのため精神、心の成長が置き去りにされたようです。

荒波の中の小舟のような人々の定まらない心に、魔と鬼がここぞとばかり歓喜雀躍、縦横無尽に飛び交い、増々人心を乱しています。

魔と鬼の最も力の出し易い環境を我々が作ってしまったのです。何故このような世の中になってしまったのか。それは仏が、私たちに気付かせるためにした荒療治ではないでしようか。乱れた世を救う仏の慈悲だと思うのです。

世の中がどんどん悪くなり、魔、鬼に負けた人々が多くなれば、何とか世の中を良くしようという人がでてくるのも自然の道理です。実際真摯な態度で、地球環境、人間の進化に対し取りくんでいる人がでてきています。

そのような人が湧き出てくるのも世の中が乱れた証拠なのです。

私たち手を合わせ、お題目を唱える者は、そのような人達のために、出来るだけ応援、手助けをしなければなりません。

それが法華経信仰者の行いです。

 

 

平成10(1998年)年04月13日発行 第37号より