食べる

圓福寺だよりコラム「仏音」
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column No.008

 

この数年、料理や食べることに関し、大変なブームとなっています。

毎日のようにテレビや雑誌などで料理店、食材の情報が氾濫しています。「男子厨房に入らず」という言葉も今や死語になりました。昔と違って世界各地より色々の珍しい食べ物も容易に手に入るようになりました。

 

昔の常識、今の非常識

それだけ豊かになったということですが、その代わりに過食、栄養過多による身体の不調、病人も増えてきているのも事実です。

健康の本、現代人の体に良い食材の情報もこれまた比例して氾濫しています。このため医学もどんどん研究され、ある面では病人が増えるから医学も進歩しているといえるのではないでしょうか。

しかし現在の医学でも100%病気を直すことはできません。

医学も進歩の途上でり、一般に医学常識とされるものが余り鵜呑みにできないところもあります。

最近も新聞に、動脈硬化に良いとされるリノール酸がむしろ動脈硬化を促進し、また癌の発生率を高めるという結果が出た、と書いてありました。20~30年ほど前、高名な免疫学者が、日本に胃癌が多いのは味噌汁を飲むのが原因だと言ってましたが、次の年には胃癌を減らすには味噌汁が有効であると言ったことがありました。

 

食べ物に対して感謝の気持ちを持つ

医学常織も日々変化進歩しています。

昔、人間は他の動物と同じくなかなか食べ物にありつけず、いつも厳しい飢餓に耐えてきたため、食べ過ぎよりも飢えの方に対応し易い体になっているのです。

飢餓状態の時に皮下脂肪などを分解するのに必要な成長ホルモンや酵素がいくつも有るのに対し、食後の血糖値の上昇を抑制する働きをするホルモンはインシュリンだけだそうです。

我々の大荒行百日間の修行中、わずかの栄養分だけで早朝から夜遅くまで厳しい行に耐えられるのも、飢餓に強いことを物語っているのかも知れません。飽食により身体を心配しなければならない、このようなことで本当に豊かな生活といえるか疑わしくなってきます。

私たちは、このような時代にもう一度、食べること、食材に対してよく考えることが大切ではないでしょうか。

食べ物に対して、感謝・有難み・慈しみの気持ちをもっと持つべきでしょう。昔は放生会(ほうじょうえ)といって食材に感謝、供養の気持を表わし、山や海、川に鳥、魚などを放つ行事が各地で行われました。今日ではその気持が薄れているようです。

人間も死ねば煙と骨になり、やがて大地に還り草木を育てます。それを他の生き物が食べ生態系が保たれるわけです。このように思うと「食べる」ということがどんな意味なのか、少しづつ分かってくるのではないでしょうか。

日蓮大聖人は「種が変じて苗となり、苗変じて稲となり、稲変じて米となり、米変じて人となる」といわれています。

米も種から変化し最後に人間の肉体を作っていくわけです。他の食べ物も同じです。

では、人間はどう変じていくのか。

それは「人変じて仏となる」ということで、我々人間は食べ物を口に入れ、ただ無意味に一生を過ごすことなく、最高の人格、仏となるように精進すべきです。それが食べ物に感謝し「食べる」ということではないでしょうか。

 

 

平成07(1995年)年07月15日発行 第31号より