column No.006
私たち僧侶が普段読む法華経に「方便品(ほうべんぽん)」というお経があります。
それには次のようなことが書かれています。
「お釈迦さまが弟子の舎利弗(しゃりほつ)および大衆に向かって語りかける。お釈迦さまの悟った知恵というものは実に難しく、皆が理解しようとしても不可能に近い。立派な聖人や学者でも到底及びもつかない。何故なら、仏と成った者は過去の世で無数の仏に仕えて教えを受け、その教えを実行してきたからこそ、奥深い知恵を理解することができたのである。浅い修行の者には理解できるはずがない。」と。
このことは、人間というものは、この人生一代で終りというものでなく多くの過去世で積んだ幾多の経験が無意識の内に蓄積され、その経験が現在の人生に大きな影響を与えていることを、お釈迦さまは説いているのです。
さらに「仏の教えを実行してきたから悟れた」という言葉も大切です。
ただ理解するのでなく、実行することによって自分のものとなり、魂も向上していきます。実行しなければ常に迷いの人生から抜け出せないのです。
信を持って努力をする
現在の私たちの魂は永い過去世の経験の影響を強く受けているのですから、この世で仏の教えに興味をもったり、手を合わせたりする気持ちの人は、過去世でそれなりの信仰の縁を持っていた人なのです。
お釈迦さまがこの世に生まれた理由は一切の人に仏の知恵を得させるためです。そのために巧教な方便(方法)を使って、例えば神通力や超能力を見せたり、例え話をしたりして人々の関心を集め、仏の知恵を示し、大衆に縁を付けようとしたのです。
大事なのは仏の教えを理解し実践する努力をすること。そのためには理性を超えた信というものが大切であるということです。
正しく信仰する
圓福寺にお参りに来る檀信徒さんのお話の中で、「お題目(南無妙法蓮華経)を唱えていると、不思議と不安や怖いもなどがなくなってくる」と、よく聞きます。
このような人は、お題目を理解した状態から本当の信に入った状態だと思います。信を持ってお題目を唱えれば必ず、良い響き、良い反応、ご守護があります。「そんな馬鹿な」と思う人は未だ信が確立していません。
守護神、菩薩、仏の実在を信じない者は法華経、つまりお釈迦さまの本当の教えを知らないで過ごすことになります。
法華経には、「正しく法華経の教えを信じる者は、諸仏諸菩薩、守護神が必ず守る」と随所に説かれています。正しく法華経を信じ、実践することがとても大切になります。
平成05(1992年)年03月20日発行 第27号よりより