釈迦の心㉓ – 相手の気持ちになる(慈悲の心)

圓福寺だよりコラム「仏音」

column No.036

 

 

周りの苦や楽を、自分のことのように感じる

 

前回、執着を少しずつでも無くすことが大切と書きました。

 

執着を無くす事によって成仏(仏と同じ状態になる)に近づいていくのです。

 

その為には何度も言っているように、身、口、意でお題目を唱えること。身、口、意で、唱えることは、相手の立場に立って、広い気持ちで自分の我を捨てて唱え行動することです。

 

自分が今、在る、というのは複雑な縁で成り立っているのです。

 

何か一つ欠けても今の自分はありえません。そのことに感謝し、全てを敬い、慈悲の心で接する。全体と共に生活をする気持ち、周りの苦や楽が自分のことのように感じる、そのような自分になることが大切です。

 

 

慈悲心が第一

 

法華経の信仰は懺悔(サンゲ)を一緒にしなければなりません。

 

これは非常に重要なことです。

 

伝教大師も、日蓮聖人も実践してこられました。自分の遠い過去世から現在までの罪、自分が係わる先祖の犯した罪を心からお詫びし、お題目を唱える。

 

この懺悔のお題目こそ、相手の気持ちになっているということです。

 

自分には、遠い昔の過去世からの罪があるのだという前提に立って、回りの人々、動物、自然界に対して何か迷惑になることをしたのだという気持ちになって、また先祖が同じように罪を犯していると思い迷惑かけたことを、先祖になり替わってお詫びする。

 

また当山の伝統として行っている日蓮宗修法の、頼る因縁(苦しむ霊)悪霊などに対しても嫌なものと思わず、苦しみ、悩む恨む霊を救うという慈悲の気持ちで行なうことが大切です。

 

因縁の気持ちになる。気持ちを理解する。そして供養などでも慈悲心が第一です。

 

自然譲与という、事の一念三千が自然と自分に与えられること。その為には仏の使いという自覚を持って法華経を信じ、清らかな心でお題目を身・口・意に唱えることです。

 

 

平成20(2008年)年01月01日発行 第60号より