釈迦の心⑲ – 娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう)

圓福寺だよりコラム「仏音」

 

column No.032

 

 

苦しみにまみれた世界(娑婆世界)

 

迷いを断つことができず、苦しみの多いこの世で私たちは生きなければなりません。

 

しかしながら、前号よりで述べたように南無妙法蓮華経を唱えることで、仏の生命と同体になることができる。仏の生命と共に活動する。そうすると善も悪も、楽も苦も活かされて、みな、善、楽、になってくる。

 

仏の立場で考え、法華経の教えの中に入れれば、全てが法華経に統一され、感謝、善、になるのです。全ての川の流れが海に入り、海として統一されるように。

 

日蓮聖人に対し、何度も邪魔し妨害した平左衛門尉頼綱のことを、日蓮聖人は「平左衛門尉こそ、私の善き師である。彼がいなければ私は法華経の行者になれなかった。本化の菩薩になれなかった。彼は私にとって必要な恩人である。」ということを言われています。

 

日蓮聖人にとって自分の体は、この苦しみにまみれた世界(娑婆世界)に居ても魂は仏と同体、 一緒に生きて活動しているわけですから、すべてが善となってしまうのです。

 

これが「娑婆即寂光(しゃばそくじゃっこう)」ということで、私たちの住むこの世界が仏の居る浄土だということです。

 

日蓮聖人はその境地に達していたということです。

 

 

私たちの住むこの世界が浄土

 

この娑婆世界を即ち仏の世界、浄土としていこう、現実にそのようにしていこう、というのが日蓮聖人の考えです。

 

そのために「立正安国論」を幕府に出したのです。立正安国、つまり正しい教え、法華経を広め皆が南無妙法蓮華経を唱え、この世界を理想の世界にしていこうということです。

 

理想の世界が実現すれば、私たちの住むこの世界が浄土となるのです。これが仏の慈悲、願いなのです。

 

 

平成18(2006年)年01月01日発行 第56号より